晋察冀抗日根拠地

晋=山西省
察=チャハル省(現在は、内モンゴル自治区,河北省,山西省の一部となり存在しない)
冀=河北省

※地名+方位で、ある省のどの当たりかを示している。例えば冀東→河北省東部というふうに。

晋察冀抗日根拠地

概要

関連部隊:一一五師,一二〇師
所在地山西省,河北省(チャハル省と熱河省も含まれたが、現在両省は山西,河北,遼寧省の一部となっている)
範囲

 東は渤海に至り、津浦路*1を境とし、山東区に接する。である。西の境は同浦*2で、晋绥抗日根拠地*3に接する。南の境は石徳線*4,正太線*5であり、冀南区*6,太行区*7,太岳*8区に相接する。北のは張家口*9,ドロン*10,寧城*11,錦州*12を結ぶ鉄路であり、偽満洲,偽モンゴル区に近い。(P88)

山西省の北東部、河北省の北部一帯であり、一部は内モンゴルにかかっている、と理解しておく。記述を見る限り、満洲国のだいぶ近くまで迫っているようだが・・・・・・
根拠地を構成する地区(名称)北岳区(冀西区),冀中区,冀熱遼区*13の三つの戦略区。
※これとは別に冀東遊撃区と晋察绥遊撃区の一部も含まれる。
面積:約20万平方キロメートル
人口、県数、兵力:1945年8月段階のものは資料中に見当たらない。(参考:1945年9月段階として108県を有し、人口2500万、兵力は15万)
備考

 太行山,五台山と恒山が噛み合わさるように交差する地域であり、ここで遊撃戦争を発展させれば、直接日本軍の交通の安全や太原,保定,北平などの城市の脅威となる。それだけでなく、こちらにとって守り易く敵を攻撃するにも適しているので、 敵側にとって有利な地形を迂回して作戦を行える。
 晋察冀地域の群集と我々の関係も比較的よい。中共はかつてこの地で洪子店農民蜂起や高陽蠡県暴動を組織したことがある。1935年の華北事変後は、冀中の農村にあまねく抗日運動が広がり、人民の抗日に対する自覚は、程度の差はあるが、高いと言える。抗戦勃発後は、この地は直接日本軍の蹂躙と虐殺を蒙ったため、民衆の抗日感情は極めて高まっている。*14


沿革

1937年10月八路軍一一五師および一二〇師三五九旅が山西省東北部に入り、五台山を中心に根拠地を創設し始める。続けて察南,冀西,冀中区に展開。
1937年11月・晋察冀軍区成立軍事
・晋東北(北岳区)抗日根拠地創立
注意この段階ではまだ「晋察冀抗日根拠地」は成立していない。
・既存の晋察冀軍区を4つに分ける
第一分軍区:雁北区,察南区,平西区,冀西北部。一一五師独立団。
第二分軍区:晋東北区。八路軍総司令部特務団。
第三分軍区:冀西中部地区*15。騎兵営。
第四分軍区:冀西南部地区*16。第一一五師六八五団。
1938年2月:国民党政府の承認を経て晋察冀辺区政府成立。晋東北,冀西,冀中を統轄する。(行政
1938年7月:平西区*17,平北区*18,冀東区に根拠地を創設しはじめる。
1938年12月北岳区,冀中区,冀東区,平西区,平北区をまとめ、晋察冀抗日根拠地成立。
注意:これまではそれぞれの区は独立した抗日根拠地だった。またこの時点で平北区は根拠地として瓦解しているし、冀東には小規模なもの以外根拠地は未建設。この「軍区」というのは遊撃区も含まれる?
※根拠地の組織
中共北方分局→当該地域の党を統括
・晋察冀辺区行政委員会→行政を統轄(この段階で73県を有する。うち31県は県城も含めて日本軍の支配下にはない「完整県」である)
・晋察冀軍区→軍事の単位
1939年1月中共北方分局成立(行政)。晋察冀辺区内の党、行政、軍を統轄。
1941年中共北方分局は、晋察冀分局に名称変更
1944年7月晋察冀根拠地を冀察軍区,冀晋軍区,冀中軍区,冀熱遼軍区の4つの軍区に分割。各区の部隊を基礎として、各軍区に新しく野戦部隊を創設。(軍事



北岳区(晋察冀抗日根拠地を構成する一地区)

概要

関連部隊:一一五師,一二〇師三五九旅
所在地山西省北東部,河北省北西部
範囲

当該区は平漢鉄道*19、平绥鉄道*20、正太鉄道、同浦鉄道の四大鉄道に囲まれた地域である。北の境は長城を超えて張北−興和*21である。南の境は正太鉄道。東の境は平绥鉄道と平漢路である。西の境は同浦鉄道である。(P91)

当該地区を構成する地域(名称):
・東雁北区(同浦鉄道の東。現山西省朔州市の山陽県,大同市の渾源県,河北省保定市の淶源県などを含む。→山西省北部および河北省西部)
・察南区:(チャハル省南部。現河北省張家口市の陽源県などを含む。→河北省北西部)
・晋東北区=北岳:(山西省東北部。現山西省折州市の五台山県,陽泉市の孟県などを含む)
・冀西区(現河北省保定市の唐県,石家庄市平山県などを含む→河北省西部)
・平西区(現北京市北西部郊外の房山県,河北省保定市の淶水県,張家口市の懐来県→北京市の北西部近郊)
・平北区(北京市北部郊外の晶平県など→北京の北部近郊)
人口,県数,兵力:50余りの県を有する。
備考

最も早く建設された抗日根拠地であり、晋察冀辺区政府の所在地でもある。(P91)

この地区は晋察冀区の基礎的な区である。(同)


沿革

1937年10月:・一一五師独立団、雁北察南抗日遊撃区を創設
・一二〇師三五九旅晋東北部および冀西南部で根拠地の創設をはじめる
1938年6月:平北根拠地が瓦解
1938年9月:平西根拠地、平北根拠地を放棄
1938年10月:平西根拠地の一部を回復
1938年11月:冀熱遼根拠地を建設するため、冀熱遼挺進軍および冀熱遼区党委を結成。
注意:この時点で冀熱遼根拠地が建設されたわけではない
1940年1月:雁北区を第五分軍区とする。(軍事
1940年6月:冀熱遼挺進軍により、平北根拠地の一部が回復。平北軍区成立。(軍事
1941年5月:第五分軍区は、第一分軍区と合併。軍区番号は取り消し。
1942年2月:晋察冀軍区、全地区を12軍分区整理する?
1944年:晋東北区と平西区、平北区が合併し、冀察軍区と冀晋軍区(軍事)および冀察党委と冀晋党委(行政)成立。
注意:つまり晋察冀抗日根拠地は、「晋察冀軍区」「冀察軍区」「冀晋軍区」が存在するとういうこと?




冀中抗日根拠地(晋察冀抗日根拠地を構成する一部)

概要

関連部隊:呂正操の自衛軍
所在地:河北省中部
範囲

西の境は平漢路、東の境は津浦鉄道。北は平津鉄道*22に臨み、南の境は滄石鉄道*23である。(P105〜P106)

→まさしく華北平原の真っ只中
人口,県数,兵力:39県を有する。(うち27県が日本軍の支配が及ばない完整県)
備考

この地方は物産が豊富で人口も多く、華北平原の心臓部である。軍事的な観点で言えば、日本軍の生命線である4本の鉄道路線をこちらが制御することができれば、直接的に日本軍の軍事,政治,平津と保定に脅威を与えられる。*24


沿革

1937年10月:元東北軍*25共産党員である呂正操が、撤退を拒否して国民党政府の指揮を離脱し、指揮下の団(人民自衛軍と称する)と河北省に留まり、根拠地を建設しはじめる。
1938年1月:冀中区は、晋察冀軍区の指導下に入る
1938年5月:・冀中主任公署成立(行政)
冀中軍区(晋察冀区第3連隊を兼ねる)成立軍事)。その下に4個の軍分区を設定。
1938年9月:第五軍分区を追加。
1942年12月:日本軍の大「掃蕩」により、他の根拠地との連携がすべて切断され、孤立する。
1943年8月冀中軍区は晋察冀軍区に,冀中区党委および行政機関は晋察冀辺区政府機関に合併。冀中の部隊と区党委は、直接晋察冀軍区と辺区政府の指揮を受ける。



冀熱遼抗日根拠地(晋察冀抗日根拠地を構成する一部)

関連部隊:第4連隊(一二〇師の一支隊と晋察冀軍区の一支隊で構成)、第13支隊(当地の抗日武装勢力八路軍に統合したもの)
所在地:河北省東部、遼寧省西部
範囲:河北省と遼寧省の省境一帯および長城の近辺?
備考

この根拠地の建設は極めて遅かった。まず河北省東部に、次に熱河省、最後に遼寧省西部の錦州、朝陽地区に展開した。抗戦の勝利の前に、三区は合併して冀熱遼抗日根拠地を形成した。(P117)

沿革

1938年6月:冀東地域の抗日武装勢力を支援するため、晋察冀軍区は第4連隊を派遣。
1938年7月:冀東各地で武装蜂起
1938年8月:冀熱遼軍区成立。
注意:軍区を設定しただけで、根拠地の建設には至っていない。
1938年10月:日本軍の攻撃で第四連隊は壊滅的打撃を受ける。
1938年11月:第四連隊を冀熱遼挺進軍として再建
1939年1月:冀熱察区党委成立、平西,平北,冀東の党の工作を統轄。
1940年7月第13支隊を冀東軍分区に名称変更
注意:「区」とついているので地域を指すのかと思ったが、どうやら部隊の単位を示すものらしい。
1940年秋冬:冀東抗日根拠地創立
1942年2月:・冀東軍分区は、晋察冀軍区の第十三軍分区になる
・冀東軍分区は晋察冀軍区の、冀東区党分委は晋察冀分局の、冀東専署は晋察冀辺区政府の直接指揮下に入る。
1944年10月:・冀東軍分区は冀熱遼軍区に名称変更。下位の5軍分区は、晋察冀軍区第14軍分区〜第18軍分区となる。
・察南根拠地を建設。
1945年7月遼寧省西部に抗日根拠地を建設



感想
 今は疲れ切っているので、後で冷静になった時、間違いは直すかもしれない。




 

*1:天津から江蘇省浦口を結び鉄道

*2:山西省を南北に走る鉄道。最南部の大同市と最北部の永済市を結ぶ

*3:http://d.hatena.ne.jp/smtz8/20100425/1272306284

*4:山西省に近い河北省の石家庄と河北省との境にある山東省の徳州市を結ぶ鉄道

*5:河北省石家庄と山西省省都・太原を結ぶ鉄道。つまり石徳線と連結している

*6:河北省南部の抗日根拠地

*7:山西省と河北省の境にある太行山脈にある抗日根拠地、八路軍の総司令部があった

*8:山西省中南部の太岳山にある抗日根拠地

*9:現在は河北省にあり、北京の南西に位置する

*10:河北省との境にある内モンゴル自治区の街

*11:遼寧省に接する内モンゴル自治区の街

*12:遼寧省の北西部にある街

*13:河北省、熱河省遼寧省にまたがる抗日根拠地

*14:華北抗日根拠地史』

*15:上記の冀西区

*16:上記の冀西区

*17:河北省内の平漢鉄道の西側一帯

*18:北京近郊

*19:北京と湖北省武漢を結ぶ鉄道

*20:北京と绥遠市(現内モンゴル自治区フフホト市)を結ぶ

*21:河北省北部の街・張北と山西省の省境にある街・興和を結ぶ鉄路

*22:北京と天津を結ぶ鉄道

*23:河北省南東部の滄県と南西部の石家庄を結ぶ鉄道

*24:華北抗日根拠地史』

*25:張作霖、張学良の軍。満州事変で満洲を追われた