河北省順平県の抗日闘争(1) 順平県という場所について

 以前、「中国の『地方志』を元に各地の抗日闘争をまとめてみる」的なことを言っておきながら、ちっとも手をつけていませんでしたが、ぼちぼち始めてみます。


http://d.hatena.ne.jp/smtz8/20100707/1278524638(地方志に見る抗日戦争(1))



 とりあえずは河北省より順平県を。山西省より候補にあげている武郷県または臨県のどちらかを少しずつ取り上げていく。
 なぜこれらの地方を選んだかは↓参照ください。(3)はやや重いです。

http://d.hatena.ne.jp/smtz8/20100830/1283176104(地方志に見る抗日戦争(2))
http://d.hatena.ne.jp/smtz8/20100905/1283702744(地方志に見る抗日戦争(3))



 以下、重くなりますので「続きを読むで」




 さて、「抗日戦争と地方」を論ずる上で、まずは河北省順平県はどのような場所かをはっきりさせないといけない。位置、地形、住民生活、産業、民俗と民族(漢民族少数民族)、行政等々。特に抗日戦争当時の様子はどうであったかを明らかにする必要があり、県誌である『順平県誌』を読めばこれらのことはだいたいわかる。

 ・・・・・・が、私は何を間違ったのか、中国で以前住んでいた場所で『順平県誌』をコピーした際、これらのことを記した箇所をコピーし忘れていた・・・・・・今住んでいる場所の図書館には河北省各県の県誌がけっこう揃っているのだが、なぜか『順平県誌』が欠けている・・・・・・。

 というわけで、以下の記述は特に注釈が無い場合http://baike.baidu.com/view/642028.htmの情報を元に記していく。こちらには特に抗日戦争期間のデータが無いので、いずれ改めて『順平県誌』を見つけ、書き改めたいと思う。



順平県の位置


・河北省西部、太行山脈の東側および保定市の西32キロに位置する
・河北省保定市に属する
・北緯38度、東経114度


google先生によると

大きな地図で見る



中国語ですが、順平県そのものの地図も



地形・気候


・河北平原に属するが、一部は太行山脈の山麓として山と丘陵地帯も多い
・平原部は県内の1/3を占め、残りは山岳または丘陵地帯
・平均気温12℃。冬は雪が降り、夏は暑く乾燥する。降水量は年間580m



面積・人口


・約708平方km
・人口約30万人(2006年)
・2000年段階で漢民族が人口の90%を占め、その他満州族,回民族,トン族など16の少数民族が暮らす



経済・産業


・2000年段階で「全国扶貧開発工作重点区」に指定されており、現状経済は立ち遅れているが発展の余地は大きい
・また山西省太原,河北省石家荘,北京,天津を結ぶ地点にあり、交通の要衝の一つと言える
・農業生産力は高いと思われる。特に果樹栽培が盛ん。
・石炭を中心に金や鉄などの鉱物資源も比較的豊富なようである。



歴史沿革


・元は「完県」という名称であり、1993年に「順平県」へと改名された。抗日戦争時代を扱う文献には「完県」と表記されている
・1930年に紅軍が基盤を築いた「革命老区」の一つである




まとめ


 順平県は河北省の典型的な特徴を備える地域だと言える。その一方で、太行山脈の東側山麓にも位置し、山区としての性格も合わせ持つ。
 農業生産力はまずまずといったところで、気候やその他の環境から推察するに、抗日戦争中もそれなりの農業生産の底力を持っていたのではないかと考えられる。
 さらに「革命老区」として抗日戦争以前から共産党がある程度浸透していたため、共産党政権は比較的受け入れられやすかったと思われる。さらに民族構成なども他の河北の地域と比べてそれほど複雑では無く、経済的基盤もあり、太行山脈にも近く、交通の要衝でもあることから、抗日根拠地の中でも重要な地域の一つだったのではないかと推察できる。