黄土の大地から千里の大平原へ

 再び中国で暮らしています。あまり長く暮らすわけではありませんが、この機会を利用して、余裕のある時間はなるべく抗日戦争と八路軍の研究に費やそうかと思っています。


 で、その一環として山西省太原から北京そして河北省を巡る旅に行ってきました。
 今回の旅ではなかなかの結果が得られたと思います。結果、と言うより何年後かに実を得るための種子を何粒か得たと言ったほうが正確ですが。
 今後はこの何粒かの種子をどこに植えどう育て実をならしていくかが課題になっていきますが、今の段階でその種子が何なのかは述べることができませんので、変わりに旅の雑感を簡単に書いておきます。



 太原から北京までは汽車で河北省を経由して向かいました。
 山西省のほぼ中央にあり盆地である太原から汽車でしばらく行くと、窓の外には黄土の丘陵地帯が広がり、汽車は山をくり貫いて作られたトンネルをいくつもいくつも通り抜けて進んでいきます。トンネルとトンネルの間に窓の外を見れば、そこに広がるのはなんとも形容しがたい黄土高原独特の黄色い丘陵地帯。
 まだ山西省にとって春の暖かさも訪れていないせいかもしれませんが、緑などはどこにもない不毛と言っても良い世界。しかし、そんな中にも畑があり、山と山のはざまを縫うように道が造られ、ふもとにはレンガ造りの煤けた家々からなる村が点在しています。
 しかし、それらが見えるのは比較的線路近くにある場合。遠くに目をやっても見えるのはどこまでも続く山々ばかりで、あの山の向こうに何があるのか、その陰に何が潜んでいるのか、うかがい知ることは難しいでしょう。逆に言えば、この地形を熟知している者にとっては、身を隠すのに適した地形を十分に利用し、己の姿をさらすことなく相手の動きを把握することもできるでしょう。


 実際にこの地形を見てみれば、なかなかゲリラ戦に適した土地であるということがよくわかります。確かに誰にとっても黄土高原は移動が困難な地形ではありますが、装備が多く地形に疎い日本軍が、装備が軽く地形を熟知した八路軍より不利であったことは確かでしょう。日本軍が敵を追撃しようとしても、この山々がその行軍をいくらか阻んでくれたこともあったと思います。



 しかし、その状況は山西省と河北省の境にある二千メートル級の山々が連なる太行山脈を越えたところで一変します。



 北京に着くまでやっておかなければならない作業があったので、時々窓の外に目をやりながらもパソコンを広げて作業をしていた私は、太行山脈をそろそろ過ぎたあたりのところで再び外に目をやってその景色のあまりの変わりようにびっくり。
 黄色い丘陵地帯の風景は消え、変わりに現れたのはどこまでも続く大平原。視界をさえぎるものは何もなく、はるか地平線のかなたまで青々とした麦畑が広がっているのが見えます。畑が遠くまで広がりすぎて、いったいどこにこの畑を管理する農民の村があるのかもわかりません。


 地図でも太行山脈を過ぎるととたんに地形がまっ平らになるのはわかりますが、やはり実際に目で見るとその地形の変わりように唖然とします。


 そしてこのまっ平らな地形を抗日戦争の観点から考えると、視界をさえぎるものがない」=「身を隠す場所が存在しない」というゲリラ戦にとっては不利な地域となります。実際にこのまっ平らな地形では、肉眼でさえかなり遠くの場所の様子を確認できてしまうことでしょう。
 また障害となるものが(せいぜい河くらいしか)ない河北平原では、日本軍の怒涛の進軍の速度を少しでも阻んでくれるものが存在しません。敵の追撃が容易なだけでなく、「掃討」対象となった村にとってもまさしく日本軍に「なだれ込まれる」といった感じだったのでしょう。
 


 日本軍の三光作戦の被害を受けたとある河北のとある村に行ってみましたが、ここも河北平原の例にもれず周囲は地平線のかなたまで続く麦畑が広がっていました。ここを日本軍が一気に村へ向けて突き進んでいく光景を想像すると、それがいかに恐ろしい光景であったか、その片鱗だけでも理解できたような気がします。



八路軍山西省においては身を隠すのに有利な山岳地帯を利用して抗日闘争を展開したが、身を隠す場所の無い河北平原では地下道戦など諸々の工夫を凝らした闘争を展開した」


・・・・・・ということは、地域ごとの抗日闘争の違いを理解する上での基本知識でしたが、実際に山西と河北の地形のあまりの違いを目にして、地域ごとの抗日闘争と地形の関係についてより深く考えることが必要だと実感しました。




 かつて八路軍は山岳地帯の山西において抗日闘争を開始し、太行山脈に総司令部を置いてやがては河北平原へと進出していきました。彼らはそこで広大な地下道を掘り、以って山西における山岳地形の変わりとなし、ついに大平原を突きって山東にまで進出していくことになります。
 山西省太原から太行山脈を越えて河北の大平原へ。わずかながらでもその歴史に思いをはせられるようなちょっと感慨深い華北の旅でした。




・・・・・・・でも、今回も清苑県の地下道戦跡や唐県のベチューン記念館に行けんかったよ!




適当メモ


山西省は牛ばかり、河北省は羊ばかり
山西省と河北省の温度差は十度以上
・回民支隊や朝鮮義勇隊など少数民族の抗日闘争についてもう少し身を入れて調べる。
・河北のメシが何気にうまい