冀魯豫抗日根拠地

 のびのびの「抗日根拠地」概要まとめを。

※まだまとめ途中ですが、いつまでも更新できないので、まとまった分から随時アップしていきます。


冀=河北省
魯=山東
豫=河南省


冀魯豫抗日根拠地


概要

関連部隊:一一五師,一二九師
所在地:河北省,山東省,河南省江蘇省
範囲

 冀魯豫抗日根拠地は、華北南線の中部にあり、広義には河北,山東,河南,江蘇四省のまたがっている。この根拠地は、東は津甫鉄道*1から始まり、山東抗日根拠地と連結している。西の端は平漢鉄道*2で、晋冀豫抗日根拠地と連結している。北は石徳鉄道*3、滏陽河*4で、晋察冀抗日根拠地の冀中区と繋がっている。南は隴海鉄道*5を越え、豫皖蘇区*6と隣接する。*7

根拠地を構成する地区:1、冀魯豫辺区  2、魯西地区 3、湖西区 4、水東、水西区 5、冀南区
面積
人口、県数、兵力:(1945年9月時点)118県(うち県城61を含む)を包括。兵力15万。
備考

冀南と冀中を結び、また太行山区と山東区、さらに華中根拠地と連携する上で必須の地であり、極めて重要な戦略拠点である。(中略)日本軍の凄まじい侵攻と残虐行為に対し、国民党軍隊は戦わずに撤退した。政権は次々と崩壊し、行政職員も県長も南へ逃亡した。こうして冀南地区では日偽軍が猖獗を極め、その機会に乗じて土匪も蜂起した。その中でも大規模なものは1000人以上、小規模な場合は十数人であり、雑牌遊撃隊は120余もあった。彼らは各地に割拠する一方、あらゆる悪事に手を染めて民衆に危害を及ぼし、時には殺人放火も行った。外には侮られ内は乱れ、民衆はまったく生きていくのが困難であった。*8


沿革

1938年春:各地に地方党委成立。遊撃隊を組織
1938年末:一一五師、直南区*9、豫北区*10、魯西南区*11に進出
1939年2月:・一一五師三四四旅、これらの地区の部隊を統一し、冀魯豫支隊成立
・一一五師第六八六団と六八五団、魯西区入り。
・一二九師、魯西北区入り。
1940年4月:・冀魯豫区党委成立
魯西軍区及び行政行政公署成立
1940年4月:八路軍第2縦隊、冀魯豫区に進出。
→縦隊と機関を兼任する冀魯豫軍区成立。直南区,豫北区,魯西南区の3区を統括する。
※これを以って、冀魯豫辺抗日根拠地の成立とする。
1941年7月:魯西区と冀魯豫辺区を合併
新冀魯豫党委軍区および行政公署が誕生(元の魯西区のうち湖西区だけは山東軍区に入る)。軍区司令・政委は八路軍第二縦隊司令・政委が兼ねる。
・1942年2月:山東軍区の湖西区および新四軍管轄の豫皖蘇根拠地の水東区を冀魯豫辺区に編入
・1942年10月:冀魯豫辺区は、中共北方局の指導下から太行局の指導下に移る。
・1944年5月:冀南区を冀魯豫区に編入
中共中央平原分局および新冀魯豫軍区誕生

*1:天津から江蘇省浦口を結ぶ鉄道

*2:北平と湖北省漢口を結ぶ鉄道

*3:山西省に近い河北省の石家庄と河北省との境にある山東省の徳州市を結ぶ鉄道

*4:河北省南東部衛水市を流れる河

*5:黄海に面する江蘇省連雲から甘粛省蘭州を結ぶ鉄道

*6:河南、安徽、江蘇にまたがる新四軍の抗日根拠地

*7:P187

*8:華北抗日根拠地発展史』P57

*9:河北省南部

*10:河南省北部

*11:山東省南西部