129師総司令部in左権県

 先日、八路軍の総司令部の一つ*1である山西省晋中市左権県麻田に行く途中で、129師の総司令部跡を見つけたので、簡単にレポートします*2




 左権県は山西省南東部に位置し、太行山脈を隔てて河北省に隣接する。抗日戦争中は、隣接する武郷県・黎城県と同じく総司令部や軍の重要機関が置かれるなど、八路軍の抗戦の心臓部の一角を担った。元々の名前は遼県であったが、抗日戦争中にこの地で戦死した八路軍参謀長・左権を記念してこのような名前に変わった。


google先生によると



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 こんな感じになるが、あいかわらずわかりにくくてすいません・・・・・・。



 129師は八路軍の三大主力師団の一つで、首脳陣は師長・劉伯承,副師長・徐向全,政治委員・訒小平*3という顔ぶれである。
 実はこの129師の総司令部というのは、左権県の東隣である河北省渉県が有名なのである。私もたまたま史跡の看板を見かけて気づいただけで、左権県にも総司令部が置かれたことがあるとは知らなかった。
 跡地現場の説明によると、1937年11月〜1938年4月まで、この地に司令部が置かれていたらしい。

1937年11月15日、命を受けた129師は順石から我が県の西河頭へと移駐してきた。劉伯承師長,張浩政委,徐向全副師長は軍とともに遼県に至り、抗日根拠地を開闢し、広範囲な遊撃戦争を展開した。1938年1月、訒小平同志が西河頭に来て、政治委員を引き継いだ。この場所にて団幹部,高級幹部などの重要な会議が開かれ、晋冀魯豫省委の党の会議が開かれ、彭真による重要な報告も行われた。1938年4月、司令部は桐峪一帯へと移転した。(跡地の説明版より)


 129師総司令部跡は、左権県の県城からほど近い(車で5分程度)西河頭という村にあった。八路軍の機関がここまで県城に近い位置にあるのも珍しい。


 さて、河北省渉県の司令部跡は愛国主義教育基地としてかなり立派に整備されているらしいが、こちらはほぼ見捨てられたような状態になっていた(タクシーの運転手さんも「あそこ何もないよー」って言ってたし)。




 ↑これが西河頭村の入り口にあった廟の上から撮影した村の様子。少し離れた県城も田舎なりにそれなりに開けていたが、ちょっと離れるとこんな光景になる。



 129師司令部へと至る道。石垣の上の建物がそれ。なんか、当時と司令部周辺の光景があんまり変わっていない気がする。


 しかし、別に訪れる人もいないのか門に鍵がかかっていた。誰か管理人が出て来ないかとノックしたら、お婆さん登場。見学したいと告げると「何にもないけど」と言いながらも笑いながら歓迎してくれた。



 門をくぐって中庭へ・・・・・・でも妙に生活のにおいが・・・・・・



 って思いっきり人が生活してますやん!!(母子で夕飯の準備していた)


 もともとのここの所有者か管理者一家かな?
 ちなみに写真右が作戦室で正面が事務所(だった)。



 そして警備室。ドアに星のマーク。


 本当に人様の家と化していたので、あんまりしげしげとは見ずに退出。しかし、西河頭入り口付近の広場らしき場所でおもしろいものを見つけた。




 これは・・・・・・。
 抗日戦争中、抗日根拠地や遊撃区の村ではよく壁にこのような標語が大きく書かれていたらしいが、まさかこれは当時のものだろうか? 
 使われている文字は簡体字ではないので、簡体字が使用される以前(1960年代以前)に書かれたものだとは考えられる。この場所は愛国主義教育基地ではないし、観光ともほど遠いので後から書き足した、ということは考えがたい。書かれている壁もいかにも古めかしい。しかし、60年以上に書かれたものがここまではっきり残っているか、壁も60年前のものが崩れずにそのまま残っているか、という点がちょっと疑問だ。
 結局、当時書かれたものなのかどうかははっきりしないが、その可能性は高い(そうでない可能性も存在するが)。当時のものだったらすごいけど。



 とりあえず全体図。
「堅持華北 戦 八路軍華北人民」→「堅持華北抗戦 八路軍華北人民」
 一番右端の「堅」が写真におさまらず、一部文字が欠けているけど「抗戦」の「抗」と書かれていたと思われる。意味は、「華北の抗戦および八路軍華北の人民を堅持しよう」。ちょっとかっこうが変なので、もしかして「華北の抗戦を堅持しよう 八路軍華北の人民は〜」と当初は書かれており、人民の後の文字が消えてしまったのかもしれない。


 そして同じく広場にはまた古めかしい建物。



 建物の上に星のマークがあるが、さっきの129師司令部の警備室にあったものとまったく同じデザインである。このマークが共産主義のシンボルとして使われているとすると、この建物も129師駐屯当時に建てられたものではないかと思う。もっとも、いつの年代のものか見ただけではわからないし、もしかしたら建国後に建てられて129師司令部にあった星のデザインを適用しただけかもしれないが。



 と、いうわけで、麻田八路軍総司令部についてはそのうち紹介。

*1:抗日戦争中、何度も移転した

*2:麻田の方が重要だけど、書くの時間がかかりそうなのでまた今度

*3:最初は林彪の親戚でもある張浩が担当してたが、病気療養のため訒小平に交代した