抗日根拠地の基本的なこと

 さて、私は「八路軍」の研究をしたいんであって、「抗日根拠地」の研究をしたいわけではないのだが、「八路軍」を調べる上で、混乱を避けるため「抗日根拠地」についてある程度把握しておくのは重要だと思う。
 何しろ、例え「八路軍」のことを専門に扱う文献でも必ず「抗日根拠地」のことは出てくる。
 と言うか文献を読んでいて「晋察冀抗日根拠地」とか「晋冀豫抗日根拠地」とか「冀魯豫抗日根拠地」とか*1出てきても、とっさにそれがどこでどうゆう根拠地か概要くらいは掴んでいないと、躓いてしかたないのだ。

 と言うわけで、『抗日根拠地発展史略』(陳廉/解放軍出版/1987年)という本が各抗日根拠地についてうまくまとめられているようなので、他に『北支の治安戦』などで補足しながらまとめてみようと思う。

 その前にそもそも『抗日根拠地』ってなに? という人のために、今の私の知識で簡単に説明を。

 なお私も勉強中で資料も不足しているため、不正確な部分もあると思う。間違いに気付けば、適時修正する。


抗日根拠地・遊撃区・敵占区

 抗日戦争中、華北の大部分の都市は日本軍に占領された。しかし、日本軍は決して華北地方を掌握できたわけではない。
 華北地域は中国共産党の言い方に従えば『抗日根拠地』『遊撃区』『敵占区』と呼ばれる地区に別れ、日本軍は『未治安区』『准治安区』『治安区』と呼んだ。

 それぞれ
『抗日根拠地』=『未治安区』
『遊撃区』=『准治安区』
『敵占区』=『治安区』
というふうに対応する。
 戦死者などは日中でしばしば数が異なるが、この区分については両者がそう認識している地区の範囲はほぼ同一だと思われる。

抗日根拠地
 1937年11月の山西省省都・太原の陥落を機に、中国共産党は『抗日根拠地』の開拓を始める。この『抗日根拠地』は、その名が示す通り、日本軍と戦うための共産党八路軍の拠点となる場所である。
 華北を中心に各地に点々と存在している。
 この『抗日根拠地』と呼ばれる地域は、国民党政府および日本軍がその施策を実施することはおろか、特に日本軍は容易に立ち入ることもできない。そこでは中国共産党が辺区政府を建てて統治している。抗戦のために必要なもろもろのことをするのはもちろんだが、その地の住民生活が成り立つよう普通の行政も行っている。つまり税徴収,公共事業,選挙,学校運営,民事・刑事裁判,結婚離婚などの手続きetcである。

遊撃区
 抗日根拠地に接し、それを取り囲むように展開している。
 ここは共産党八路軍と日本軍がイニシアティブを争う不安定な地域である。よく「八路軍はゲリラ戦を行う」と言われるが、八路軍が実際にゲリラ戦を行うのはこの『遊撃区』である。『抗日根拠地』ではそもそも戦う必要がないし、『敵占区』の攻略は彼らの手に余る。『抗日根拠地』が八路軍の拠点であるなら、『遊撃区』は彼らの活動場所・戦場である。
 もっとも拠点とは言っても、いちいち『抗日根拠地』から八路軍が『遊撃区』に出てくるというわけではないだろう。『遊撃区』にも拠点(駐屯地)を持っていると思われる。
 また『抗日根拠地』ほどではないが、『遊撃区』にも共産党の行政組織は存在する。公開・非公開,施策の実施程度は、その地域の日本軍との力関係に左右される。

敵占区
 『抗日根拠地』でも『遊撃区』でもない地域(と言うとミもフタもない)。
 主に大都市や県城およびその周辺などである。日本軍の完全な占領区であり、日本軍が傀儡政権などを使って統治している。
 県城程度はまだしも大都市などは八路軍は攻撃できず、脅威はほとんどない。共産党の組織は完全に地下に潜り、宣伝や諜報活動などを行っている。


 以上、華北*2にはこのような三つの地区が存在する。しかし、各地域の範囲はしばしば変わる。
 日本軍が優勢であれば、『遊撃区』→『敵占区』あるいは『抗日根拠地』→『遊撃区』となる。逆に八路軍が優勢ならば『遊撃区』→『抗日根拠地』,『敵占区』→『遊撃区』*3
 特に『抗日根拠地』と『遊撃区』の境での戦闘がもっとも熾烈であったのではないかと思われる。よく調べてみないと何とも言えないが、三光は主にこの境界の地域で起きたのではないだろうか?


 次回はこの三地区の状況をさらに理解するために防衛庁の『北支の治安戦』を中心にまとめてみる。

*1:この3つはすべて違います。漢字をよく見てください

*2:華北だけの状況ではないが、他の地域はものすごく不勉強なので何も語れない

*3:『敵占区』を攻略するのは一般に困難だが、もともと『遊撃区』でったものが日本軍優勢時に『敵占区』に変わったような地域であれば、奪還は不可能ではなかったと思われる