第一部 抗日戦争時期の八路軍・新四軍


第一章 抗日戦開始と国共合作(2)


西安事変後の国共関係
・国共間の内戦は完全に停止
中共地区への封鎖の緩和
→内戦停止一致抗日は動かしがたい中国の大勢


国共の交渉
第一回
日時 1937年2月中旬〜3月中旬
場所 西安
参加者 周恩来葉剣英共産党
    顧祝同、賀衷寒、張沖(国民党)
内容 中共は二月、国民党五期三中全会あてに以下の電報を出す
五項目の要求?内戦停止を停止し、一致して外敵にあたる?言論・結社・自由、すべての政治犯の釈放?各党、各派、各団体の代表者会議の招集?すみやかに抗日戦の準備をする?人民の生活を改善する
4項目の公約?国民政府打倒のための武装蜂起の方針を全面的に停止する?ソビエト政府は中華民国特区政府と改称、紅軍も国民革命軍と改称、南京中央政府と軍事委員会の直接指導を受ける?特区内では普通選挙による民主制度を実行する?土地没収の政策を停止し、抗日民族統一戦線の共同綱領を実行する
結果 西安中共弁事処設置の合意のみ


第2回
日時 3月下旬
場所 杭州
参加者 周恩来共産党
    蒋介石(国民党)
内容 ・五項目の要求と四項目公約について具体的実施案を提起(周恩来
    ・民族統一戦線綱領の制定と己を最高指導者としての地位の確認を要求(蒋介石
結果 交渉継続に合意したのみ


第3回
日時 6月
場所 廬山
参加者 周恩来中共
    蒋介石宋子文(国民党)
内容 紅軍改編後の総指揮部、軍隊と辺区の人事など
結果 交渉は進展せず


第4回
日時 7月15日
場所 廬山
参加者 ?
内容 ・「国共合作を公布する宣言」を国民党に手渡す
    ・再び四項目の公約。?三民主義実現のため奮闘?国府政権を覆すすべての暴動の停止、     赤化運動のとりやめ、暴力によって地主の土地を没収する政策の停止?ソビエト政府を取り消    し、民権政治を実施し、全国政権の統一を期す?紅軍の呼称と番号を取り消し、国民革命軍     に改編し、国民政府軍事委員会の統轄を受け、命令ありしだい出動して抗日前線に向かう


廬山会議後の動き

7月4日 中共国共合作は引き返し不能地点だと判断し、国共共同宣言草案を起草。

7月7日 盧溝橋事件

7月8日 中共、全面抗戦を呼びかける通電を発布

7月15日 第二次廬山談話

7月17日 蒋介石、「最後の関頭」

8月13日 第二次上海事変

8月22日 蒋介石、紅軍の八路軍への改編を発表(公表をためらっていたが、第二次上海事変が引き      金となった)

9月23日 中共国共合作宣言を受け入れることを正式に宣言



各宣言などについて


国共合作を公布する宣言
この民族存亡の瀬戸際に直面した重大な難局にあたり、祖国の滅亡を救うため、和平統一、団結禦侮の基盤に立ち、われわれはすでに中国国民党との了解をとりつけ、とにかく国難に赴く運びになった」


・最後の関頭
われわれが弱国である以上、もし最後の関頭に直面すれば、全民族の命を賭して国家の存続をはかるのみであり、その時にはもはやわれわれは中途で妥協することは許されない。ひとたび最後の関頭に立ち至れば、われわれはあらゆるものを徹底的に犠牲にして、徹底的に抗戦するほかない。犠牲の決意を固めてこそ最後に勝利をかちとることができる。


蒋介石国共合作宣言受け入れ(9月23日)
このたび中国共産党が発表した宣言は民族意識が一切を制した例証である。宣言中にあげられた諸事項、たとえば暴動政策と赤化運動の放棄、ソビエト区と紅軍の解消などこれらはすべて力を集中して禦侮救亡をはかるための必要条件であり、かつまたわが党三中全会の宣言、決議とすべて合致する。




雑感
全体として主導権は中共が握り、国民党は防戦に回っている印象がある。特に「国共合作を公布する宣言」はやりすぎ。
 中共発砲説が出てくるのは、状況証拠的にはおかしくない。私はこの説を否定する立場にあるが、この説にしっかり反論するため、よく調べる必要がある。

なお中共発砲説を否定するうえで参考になるサイト
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/inbou1.html