「憎悪の連鎖」を断ち切るためには手段を選ばない人

 当ブログは、私の研究をメモするのを一番の目的としてやっているため、日中戦争に関する気になる言説や歴史修正主義的言説をネット上で見かけても、個別には取り上げて批判や間違いの指摘などはしない方針だった*1
 ただ、記述に事実誤認があり*2、かつその誤認部分がネットで流布されてしまっている一部の日本語文献については、後で少しづつ指摘していくつもりではある。


 しかし、やはりものごとには「我慢の限界」というものがありまして・・・・・・どうにも看過できないクズ記事に遭遇したので、今回は基本方針を破ってちょっと批判を試みてみる。*3






 現在、北京の抗日戦争博物館にて「日本軍の性暴力パネル展」が開催されている。これは日本の市民団体が企画し、抗日戦争博物館での開催にこぎつけたもの。パネルを使って、日本軍の性暴力(強姦,慰安所など)の実態や被害者の証言をわかりやすく紹介するものらしい。


 まず朝日が短く報じている。
http://www.asahi.com/international/update/0814/TKY201108140149.html


 さらに詳しい情報はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/411b2c7687fa11184535353d46b4c16d?st=0


 さて、この手の話題に対しては、私はあまりネット上で検索をかけたりしない。どうせ気分が悪くなるような言説が飛び交っているに決まっているからだ。ただ、今回は調べなければならない事情があって調べたのだが、(目的の情報には辿りつけたものの)やはり検索画面に表示された言説の端くれを見ただけで気分が悪くなることこの上なかった。ぶっちゃけ「戦時下の日本軍」より「現代のネトウヨ」の方が、よほど目をそらしたくなるし日本を貶める存在だろう。よくも朝日の短い記事だけで、ああも沸きあがれるものだと思う。
 個別の批判はしないが、一言だけ言うと、こういう場合のテンプレ「いつまで日本だけが悪かったように言われ続けてなければならないんだ、いいかげんにしろ」という類のが散見された。500円という大金を賭けてもいいが、そうやって「いい加減にしろ」と言う人ほど日本軍の戦争犯罪の実態の十分の一も知ってはいないだろう。まさしく、戦争犯罪を研究する人々は、そんな人にこそメッセージを送り続けていると思うのだが・・・・・・。



 で、本題の記事は↓。週間ポストに掲載された記事とのこと。内容からして記者は現場に取材に行ったのではないかと思われる。
http://www.news-postseven.com/archives/20110821_28927.html


 この記事で注目すべきは、記者が「日本の市民団体がこんなことをやるとは」というスタンスに始終していて、そもそもこのパネル展の大元の大元、「戦時中に日本軍によって多くの中国の女性が性暴力を受けた」ことについていったいどういう観点を持っているのかが、きれいさっぱりまったく見られないことである。
 また、パネル展の直接のきっかけとして「被害女性たちが日本政府相手に裁判を起こし、敗訴した」ということがあるが、それに対して(そしてその結果として被害者たちが無補償状態に置かれていること)についてどういう観点を持っているのかまるでわからないのである。


 その前提として、これを書いた記者は、パネル展の内容の正否をどうとられているか。市民団体の紹介*4に貴重な紙面を浪費しているせいでよくわからないが、あえて言うなら特に「被害が発生した」という点の否定を主張してはいないだろう。積極的に事実と認めているようにも思えないが、明確な否定の言葉も無いため、個別の事例はともかく「戦時中に日本軍によって多くの中国の女性が性暴力を受けた」というおおまかな点は事実と認めていると言えると思う*5。なので以下、この記者が「基本的な事実は肯定している」という前提で書く*6


 しかし、それにも関わらずこの記者は、市民団体の批判だか揶揄に始終するばかりで、「女性たちの被害」については徹底的にスルーする。

今回のパネル展も、中国の、中国による、いつもの反日宣伝教育の一環かと思えるが、実は日本の市民団体の強い働きかけで実現したのだという。


 で、それが仮に「反日宣伝」だとして、そこで言及された被害についてはどのような認識をしているのか? まさか「宣伝」であるからそこで言及されている被害そのものについて検討や考慮をしなくてもいいということにはならないだろう。

中国政府と連携しているのではないか、と問うと、「関係ない」と否定した上で、「私たちは、被害者の人たちの生活支援や、この問題についての喚起、日本政府に対する要求だとか、中国政府としてやれることを、もっともっとやってもらいたいと思っている」と答えた。要するに、日本へのさらなる“圧力”を期待しているということか。


 なるほど、この記者がやり方(日本へのさらなる“圧力”)が気に入らないらしいことだけはわかった(って言うか、被害者女性の主張とか現在置かれている状況とか他に問うことはいっぱいあるだろに)。では、そのやり方が気にいらないとして、「被害者の人たちの生活支援」や補償や謝罪などの「日本政府に対する要求」はどう解決すればいいと考えているのだろうか。こういう時こそ「対案を出せ」と言う言葉は使われるべきだと思う。
 だいたいやり方が気にいらないならいっそ「中国から圧力を受けた被害者に補償するなんて日本人として国辱だ。これは日本人が自らこの問題に取り組み、被害者救済の世論を作り出して、日本政府に解決を求めていくべきだ。それこそ日本人として誇りある行為だ。自分は一記者としてその世論をつくり出すために全力を尽くす!」とかぐらいは言い出せばいいものを*7


 そしてこの記者が被害者たちに対して結局どう思っているのか、可哀そうだが自分の知ったこっちゃないと思っているのか、何とかしてあげたいと思っているのか、この事実はもっと多くの人が知るべきだと思っているのか、べつに可哀そうだとさえ思っていないのか、そのコミットの具合がちっともわからないわけなのだが、反対に明確に記者の考えが分かる箇所もある。

「(慰安婦による謝罪・損害賠償を求めた裁判の)敗訴で大娘たちは希望を失い落胆して、体調を崩したり亡くなる人もいました」
慰安婦たちの名誉回復方法として考えたのがパネル展だったという。しかし、中国ウオッチャーの宮崎正弘氏はこういう。
「日本の市民団体が中国側をけしかけて、こうした展示会をやらせているのが問題。市民団体としては日本の新聞に掲載されるのが目的でしょうね。また、彼女たちは日本で裁判をするためにも、被害者を集めたい。裁判に負けようが、それを通じて支持者を広げようと考えているのでしょう」
かくして中国の若者たちに、日本人への憎しみが植えつけられていく。


 だから、裁判で負けて被害者が落胆し、無補償状態にあることをどう思っているのか・・・・・・と聞くだけかなりむなしい。

 
 中国ウオッチャーと言うより自分の脳内「シナ」ウオッチャーでしかも中国が「反日」でい続けてくれることを熱望している宮崎正弘氏に話を聞きに行くあたり、もう何も期待しないほうがいいのがわかるが、それは置いておくとしても、ここでは市民団体の主張と宮崎氏の分析が真っ向から対立する形になっている。そして、なぜか記者はなんの留保も無く、宮崎氏の分析の方が正しいことを前提に最後の一文を書いている。
 もちろん当事者の主張より、第三者の分析が真実を言い当てていることはある。だが、刑事事件のアリバイ証明でもあるまいに、わざわざ当事者の主張を排して第三者の主張を採用するには、それ相応の根拠を示さなければいけないだろう。しかし、記者はなんの説明も無く第三者の分析の方を採用しており、そのコミット具合は被害者の被害に対して何の考えも示さないのと対象的である。



 そして(重複するが)極めつけなのが、最後の一文だ。

かくして中国の若者たちに、日本人への憎しみが植えつけられていく。

 もしかして当人は気のきいたことを書いているのかもしれないが、そう思っているならよけい痛々しい。


 まず、「それと、中国の人はよく『日本人は反省していない』というが、被害者を日本の市民団体が支えて活動してきたこともわかるようにしている」という市民団体側の言葉を自分で書いておいて忘れているとしか思えない。仮に、市民団体側のそのような考えなど中国側には通じない、と考えて批判しているなら、まあそれも一つの考えとしてありだろう。しかし、この記者はそんな「理由」も書いていない。


 この最後の一文を真に受けるなら、この記者は被害の事実を一応は認めながら、「中国の若者たちに、日本人への憎しみを植え」つけることを防止するという名目で、加害事実を公にするな、と主張しているに等しいのだ。
 一応、宮崎氏の分析をその前に持ってきて、あたかも市民団体が自己の「党利党略」のために中国人の日本への反感を煽っており、それこそが問題だというふうに演出(印象操作)してはいる。では、何らかの方法で市民団体の活動が全く「党利党略」ではなく、その主張通りだということが証明されたら、この記者は何も文句が無いということだろうか? 市民団体が日本で日本人向けに開催するのであれば、「中国の若者たちに、日本人への憎しみを植え」つけはしないから応援するのだろうか?


 そう考えると、記者が市民団体の「真の目的」なるものを「創造」してくれる宮崎氏の分析に無条件でコミットするのもわかるというものである。宮崎氏の分析を間にはさむことによって、記者の「憎しみが植えつけられていく」という話の不自然さが糊塗されるのである。試しに宮崎氏のコメントを略してみよう。↓


「(慰安婦による謝罪・損害賠償を求めた裁判の)敗訴で大娘たちは希望を失い落胆して、体調を崩したり亡くなる人もいました」
慰安婦たちの名誉回復方法として考えたのがパネル展だったという。(略)
かくして中国の若者たちに、日本人への憎しみが植えつけられていく。


 と、まあ「憎しみの連鎖を断つという崇高な目的のためには、事実を隠蔽し被害者の嘆きを無視すべきだ」という主張があからさまになってしまうのである。
 また、さらに踏み込ませて言わせてもらえば、実際のところ「中国の若者たちに、日本人への憎しみを植えつけ」ないためという大儀こそ掲げているが、本音には「日本の加害の歴史をあからさまにされたくない」という欲望が根底にあるのではないかと思う。
 そして実は、多くの「反日教育」批判は実はこの欲望と無縁ではないと私は考えている。



  と、駄記事批判にずいぶん時間を喰ってしまったが、この記事は以下の二つの点を明らかにする記事であった。


・中国の「反日教育」批判にせよ、加害の事実を広める市民団体等の活動批判にせよ、その現象面ばかりに目をやり、そこで言及されているそもそもの被害と被害者については無視される。
・「憎しみの連鎖を断つためには事実の隠蔽も辞さない」という考えがけっこうまかり通っている。



 「憎しみの連鎖を断つ」と言うのは、日中関係に限らず現在の多くの地域で現在進行形で課題となっているが、その目指すべき解決方法は、決して「事実の隠蔽」などというものではないはずである。









 
 

*1:まあ、歴史修正主義的言説には「目を合わせちゃいけません」的対応ではなく、こまめに「はい、だめー」と指摘することが重要だというのはわかるし、その考えに賛同もしているが、いかんせんそんなことをやっていたらただでさえ進まない研究がますます進まなくなると思うとつい及び腰になってしまう。

*2:歴史修正主義意図で史実を歪めた、というわけではなく、専門外の著者による誤認と思われるもの

*3:この記事を書く前にどうにもモヤモヤが処理できないので、「Apes! Not Monkeys!はてな別館」さんの掲示板に書き込んだが、やっぱり自分でも書くことにした。ちなみに「Apes! Not Monkeys!はてな別館」さんでも記事への批判が取り上げられている。

*4:と言うより正体を暴く、といったスタンス

*5:もっともそれはこの記者の良心や教養の問題ではなく、単に正面きって否定論を展開するだけの肝も知識も無かったからだと思わなくもない

*6:「日本軍は性暴力など行っていない」または「被害は戦時下ではよくある一部の例外的な事例だ」という認識ならそれはそれで別の問題となる。ちなみにあるブログでは朝日の短い報道を見ただけで「捏造だ」と言うツワモノがいた。

*7:って言うかそれを実践しているのが、パネル展を企画した市民団体だと思うのだが